文京区に、幻の道がある。
正式には環状三号線と呼ぶそうだが、地元の人々はただ「播磨坂」と呼ぶ。未完の環状三号線の一部に過ぎないその道は、春のほんのひととき時だけ、別の顔を見せる。それは桜坂へと、その姿を変えるのだ。
僕がその道を初めて歩いたのは、満開を少し前にした夜のこと事だった。
昼間は犬を連れた人々が行き交う、ごく普通の散歩道だ。花見の宴会で賑わうこと事もある。だが夜の十一時を過ぎると、高級住宅街の静けさがあたりを包み込み、道はまったく別の表情を持ち始める。
街灯の光が、まだ開ききっていない桜の枝をそっと照らしていた。
満開の桜は確かに美しい。しかしその夜、僕が目にしたのはそれとは異なる美しさだった。これから咲こうとしている桜——まだ蕾を抱えたまま、それでも枝いっぱいに力を漲らせている、あの姿だ。薄紅色の気配が、夜の闇の中でほのかに滲んでいた。
坂の上から見下ろすと、街灯に照らされた桜並木が、緩やかな斜面に沿って続いている。その光景を前にしたとき時、僕は奇妙な感覚に囚われた。桜が、こちらを見ている気がしたのだ。咲くこと事への意思が、枝の先の蕾の一つひとつから、静かに伝わってくるようだった。
梶井基次郎は言った。桜の木の下には屍体が埋まっている、と。あの圧倒的な美しさの根拠を、彼はそこに見出した。僕にはその怖れが、その夜ようやく腑に落ちた気がした。これほどの美しさには、何か得体の知れないものが宿っていなければならない。そうでなければ、説明がつかない。
しんとした坂道に、僕の足音だけが響いていた。
この夜間の道を知る人は少ない。昼間の喧噪の中では、その本当の姿は隠れてしまう。幻の環三が幻たる所以は、きっとそこにある。春の夜、眠りについた街の中でだけ、この坂は桜そのものになるのだ。
日本人に生まれて、よかった。
坂を下り切ったとき時、僕はそう思った。
———もっとも翌朝、同じ坂を歩いた僕の靴の裏は、桜とは無関係の茶色の何かを踏んでいた。犬たちにとっても、よほど素敵な道らしい。幻も、地に足はついているものだ。